改名後、改名してもなおかつ良くならないと言う人と、改名して無上の喜びを得ている人の両者がいる。
私は過去における統計で示してみようと思う。
改名した人で運気好転した人(約600名)のうち
- 有神信者:75%
- 無神信者:25%
有神信者の運気好転は断然多い。
改名した人で運気好転しない人(約200名)のうち
- 有神信者(多神信者):約50%
- 意思が弱く迷いやすい人:約50%
あの神様この神様と、転々と信仰を変化させた人が、あの姓名学でこの易者の言葉で、と何回も改名しなおした人と相半しているのは面白い。
姓名の暗示において的確でなかった(改名の効果がない)者の中で、無神論者は多かった。
これは第三者が公平に見て、その数理の的確を認めたが、本人が病気に対する主観において不的確(改名の効果がない)としたものであることは言うまでもない。
彼らの言葉は一様に神を否定し、唯物を称賛している。
特に金に対する称賛は、いかなる聖人の言も「金力のともなわぬ時は無力なり」とし、金力はすべてを解決すると考え信じている。
こんな人たちには姓名即神も、神我一体も、吾名主礼も一向に通じない。
神力によって生かされている自分すら理解できぬ、水あってそのありがたさを知らぬ魚のようなものである。
数を吉にすれば自動的に、速やかに運気が好転するものではない
有神無神論者は言うにおよばず、改名の効果においても単に文字の数理のみ改めたことにおいて、速やかに運気は好転するものと考えてはならない。
患者は薬を服用するにあたり、その薬は非常によく効くと確信し、医師の言葉を全面的に信頼して服用するのであるが、患者自身は「俺の病気はもはやダメだ。薬など服用してもなんの効果があるものか」という観念で、無理にすすめられて服用した時、同一薬の効果に相当の開きがある。
改名の場合でも、絶対信の上においてなされたものと、無理にすすめられて、また半信半疑においてなされたものに相違あるのは言葉を要しないであろう。
昔の名僧知識と言われた人たちは、必死の信念において難行苦行をされ はじめて悟覚し得たのである。我々の改名も難行苦行をしなくても、絶対信念の堅持がなければ最大極度の改名効果は発現しない。
また最初、熱心な理信者であった人が一年経たぬ間にその熱意も失われ、二年、三年、と経過するうちに病気となる。
こんな場合は必ず旧名の暗示は七分まで誘導していることが認められる。
改名は日一日と絶対の信によってますます強烈に脳裡に刻まなければ本当でない。これにはいかにしても正しい信仰を必要とする。
立派な真理の書物を読んでも、なおかつ改名に対する疑心を抱く人がいるのですから、普通一般の方々は、この種の疑問を起こすのも無理もないと思われますが、せっかくの吉名をふたたび旧名に変更したり、またさらに、より凶名に改めるなどの事実は無数にありますが、まことに遺憾至極と申さねばなりません。
なぜこのような疑心を生じるのか、それは姓名即神の真理がはっきり認識できていない。案外、信じている、悟っているという人が信じても悟ってもいない人が多い。
改名後の病気などにより疑心から旧名に戻す
浜本婦人(仮名)に手相の鑑定を依頼された時のこと。
私は以前、手相、人相、指紋法などを学んだことがある。
浜本婦人の結婚線はニ本同じ太さ、長さ、深さであり、これは再婚の暗示であり、さらに人相においては、眉は濃く一見して孤独運をそなえているので、不思議に思い、「この名前は改名ですか」と聞くと、「熊崎先生から改名していただいたものです。」と答えた。
私は、相学においては後家運があるが、この名は吉名ですから、この点どう思うかとたずねると、
「夫婦改名して三年目に主人と死別した。」と答えた。
そこで、主人を奥秘で調べると、本名と同じ「地水師」を認め本名短命運だったので、「貴女のご主人は病気に非常なショックを受けて、改名に対する信念がぐらついたでしょう」と聞くと、「その通りです。その時はまったく本名に戻っていた」と明確に答えられた。
そこで私は「改名は絶対信でなさねばならず、疑心は信を破壊し、その結果 本名に返り、凶暗示の数理による短命運を誘発したのです」と説明すると、浜本婦人は「まったくその通りです。」と率直に認められたのである。
このようにせっかく夫婦とも改名しておきながら、多少の変事や、病気などで疑心を生じ、信念をくずして、元の旧名に復帰し、凶運の誘導を受けた人が相当程度の数あることは見逃せないことである。
運命打開法 改名後いかに凶運を転禍させるか
改名後「旧名の自分は死んでしまったと堅く信じ、これを墓地に葬り、僧侶に読経してもらい、完全に地上から ...