鑑定士 斗依子 | |
昭和58年
昭和61年 昭和62年 | 滝口敬祥運命学研究会 滝口敬祥先生に功と共に師事。 姓名学、先天運、易学、英字式姓名学、印相学その他を受講。 五福會設立 斗依子…鑑定、命名、改名担当 功…喫茶「飛鳥」にて鑑定を始める。 RKKテレビ「さわやかワイド」 長崎、福岡、東京にて出張鑑定 インターネットにて鑑定開始 平成29年 新町の事務所で鑑定 令和5年 事務所閉所 由希子…サイト運営。功の二代目として鑑定書、命名書作成を担当。 令和6年 事務所再開 |
高弟・滝口敬祥先生と熊﨑式姓名学との出会い
滝口敬祥先生が手相に関心を持ちだしたのは昭和16年頃から。
当時、海軍に入団されて以来各地の航空隊を転任されていたそうです。
そこで専門の易者の部下を持ち、実習を重ねて、終戦後の昭和21年頃に初めて手相を活用され、よく当たると人気を得たそうです。
『市役所に昼休みを利用して手相鑑定に行った時のこと。
当時課長のある男性が、「君は、人のことを言うが自分のことが分かっているのか」 と問われました。
私は自分の左の手を示して「近いうちに不時の災難があるそうです」
「そんな馬鹿なことがわかるものか」と、その男性はすぐに打ち消しました。
しかし、それから3か月ほどしてジェーン台風が発生。台風により自宅の戸建が根こそぎ吹っ飛んでしまった。
無一文から血のにじむ苦闘の末に、やっと得た家までも もぎ取った災難により、 凶運が事前に予言できてもそれを打開できなければ無価値なもの。
手相はまさにその通りのものに過ぎなかったと反省させられた。
この線が悪いからといって消すこともできない。ここにこのような線を付けたら良くなると思っても、実際に刻むことができない。
不安定なままに手相鑑定を続けて約4か月後。偶然、何気なしに入った書店でふと目についた「姓名の神秘」。熊﨑健翁著の本でした。
もともと私は個人識別のための符号(ラベル)であって、姓名によって人間の運命が左右される、そんな馬鹿なことがあるものかと思っていました。 時々姓名学の本を見ても一向に感動することもなく、全然意に介していなかった。
書店でその本を見た時も一寸ためらったが、溺れる者わらをも掴むの思いで買い求めたのです。』
滝口先生は学問として後世に伝えることを使命とし、県支部長となり尽力されました。実践的研究により独自の姓名判断の方法を確立しました。