改名すれば何もかも好転して、金満家になって、病気はたちどころに全快して、好都合よく運ぶものと、たなぼた式の唯物的な考え方を持ってる人は多いようである。
実際、私が何回も発表した改名の効果について、「誇張しているように思えてなりません」と疑問を訴えた人は相当数であった。
改名に対する希望に
- 無病息災というべき健康体に。
- 欲深いようだが財運がほしい。
- 上下の信望大にして人に好かれたい。
このような希望の人は実際に多いようであるが、
1無病息災うんぬんは、大自然に雨も嵐もあるように、当然小天地の人間にも、その試練がありうる。改名したからといって病気は全然消滅できるものではない。ただし大難は小難に成し得る事のできるのは改名の力と考えて良い。
2財運がほしい、これは改名してもいまだ変わりなく、あいかわらずお金は右から左に筒抜けになってしまうと、よく私に訴える人がおる。
元来、改名の力でその分限をあらためる事は不可能である。人間この世に生を受けるにその分限(神から与えられたもの)がある。改名とはその分限を更新させることではなく、その分限を最高限度に伸長させることにある。無一物から万余の金を持てば大成功である。何千万円の資金を投じて二、三十万の利を得ても大成功にならぬ。この分限に素直に甘んじることである。
3上下の信望大にして人に好かれたい、は姓名尊重を徹して、はじめて可能である。姓名尊重は人格を完成する。この短い教えに真理がある。
前置きが長くなったが、同門の某士の訪問を受けた際、長寿と姓名学についての話が出た。
長寿の人で凶名の名前が多いのはなぜか?
「長寿の人で凶名の名前が多いのはなぜか?」といったような話であった。
その人々の先天運の相違にもよるが、これは逃げ口のように思われれるとの言葉である。
そこで私は、親が死に、子は死に、孫が死ぬ、というように順序よく死んでいくのは幸福であるが、この長寿の人たちは先天運の都合でみずからは長寿を保ち得たが、逆難で子供に先立たれたとか、色々の凶運が、ともなったことは想像以上である。
例えば「九」という数理で一概に「短命、不遇、悲痛、惨憺」と一方的に解すべきでなく「たまたま一身の災害を免れる時は配偶を失い、子女を得ず」とある反面的な見解を忘れてはならない。
「九」の短命数が有るが、この人は長寿である。この姓名学は的中しないと決定づけるのは早計であるし、大運神の配置には鑑定上十分の注意が必要である。
統計
一にも二にも統計と、近代人は統計で表さないと納得できぬ人が多い。過去において私の調べたものを参考に提供しよう。
私の記録している、91歳以上101歳までの長寿者156名について調べてみると、
101歳の完全吉名者を筆頭に、
- 完全吉名者14名
- 三才大吉にして一格のみ凶の者19名
- 三才大吉にして二格のみ凶の者15名
- 三才大吉にして数理全部凶の者1名
- 完全凶名の者64名
うち天人か人地いずれかの配置吉の者10名 - その他43名(この中には数理吉にして三才の凶なものなどを含む)
以上となる。この統計によって姓名学の不信感を持つのは不幸なことである。
姓名学における的確性について(二千名のうち)
的確性70%
新聞の活字の間違いによるもの20%
15才未満の児童10%
(註:活字の間違い20%のうちには、本人は吉名であるが配偶者の大凶名による影響と確認したもの約10%が含まれている。)
凶名の子孫に及ぼした影響(300人のうち)
父母いずれか9、10、19、20の短命運を持った者で子供に同じ数理を与えたもの90%(残り10%には4、14、26、28、34の数理を有す)
母親に21、23、33、39の孤独運を有し、その子供・女の子に同じ数理を与えたもの80%(残り20%は4、14、9、19、10、20、26、28、34の数理を有す)
対象人数は少なかったため物足りぬ人もあろうが、この数字は千名に対しても大きな相違はないものと思う。