滝口先生「四柱推命学は貴重な運命学の一つで、姓名学を業とするものには絶対に習得しなければならない学問です。しかし四柱推命学のみを専門としている人達は姓名学を習得しなければなりません。いかにそれぞれが必要なのかは以下の実例によって説明致します。」
四柱推命学と姓名学
ある市役所に勤務していた○○氏は「良く当たる四柱推命学の先生がいる」と隣家の人達に聞いて、夫人も連れてその先生に鑑定をお願いしたところ、
『君たち夫婦は絶対不幸になる星を相互に持っているから今すぐ離婚しなさい』と極言された。
驚いた○○氏は
『先生そんな無茶な家内は今妊娠三カ月です』と言うと、
『その子供をおろしてしまって早く別れなさい でないと今に大変な大凶運に見舞わされて、お二人の生命も保障できぬ』と言われた。
その先生は四柱推命学では相当有名な方であったので、半信半疑のまま帰ったが 若い二人には否定する気持ちの方が強く「そんな馬鹿な」と言う事でそのまま放任してしまったそうです。
それから月が経って夫人は可愛い赤ちゃんを出産。
「それ見よ、あの先生の言った事全くインチキではないか、自分達はこの通り幸福だよ」と喜んだのも、つかのま
奥さんは出産後十日程してから、バケツにいっぱいの水を持つと、突然激しい腰痛をおこしてうごけなくなってしまった。急いで病院に運び込んだが、結局はギプスをして三年間もベットにねたきりであった。
○○氏は一生懸命寝食をわすれて看護につとめ、隣りの人達も「あれ程病人の世話をする人はない」とただただ感嘆するばかりであった。
三年が過ぎやっと全快した二人に突然離婚話がおこった。
それはじっと三年間ひたすら耐え忍んだ彼は、元通りの健康体にかえった奥さんとあっさり離婚したと聞き、
滝口先生は急ぎ彼に会い
「なぜ離婚するのか?子供さんも可哀想だし奥さんも貴男以上に苦労しているはずではないか、元にもどってあげたら…」と熱心にすすめたが
彼は
『私は先に四柱推命学の先生に言われた事を三年間自分の耳から離れた事がありませんでした。
「ああ、あの時子供を処分して別れていたら家内も私もこのような苦労はしなかったものを」と思わない日は一日もありませんでした。何と言われても二度と再び家内の元にかえる気持ちは絶対にありません。』と強い決意で激しい口調で言い切ったのでした。
私は痛感したのは、いやしくも運命学を業とするものは自己の鑑定の適中のみに満足して、ほんとうの道を忘却していないか?と。
凶運の事前予言、そして適中、それだけでは運命学の真価はどこにあるのか、いいかげんの事を言って人をだますインチキ業者も悪いが、人を失望のどん底に落としてしまった知らん顔をしている者はなお悪い。大体運命学とは吉凶それぞれの運勢予言だけのものではなく、その本質は人々を幸福にみちびく事を使命とするものでなければならない。
したがって、凶災の予言とその打開策のなきものは運命学としての価値がない。四柱推命学のみではその大事な打開策がない。なぜならば、生まれた生年月日時間を他の吉運の月日に改めてみても実際的に打開にならないからである。
運命学の使命とは何か
ここにおいて四柱推命学を専門に業としている人は、何としても姓名の後天的暗示の作用により四柱推命学で指摘した凶災を転禍させねばならない。
したがって、姓名学を学ばなければならないという事になる一方、姓名学を専門にこれを業としている者は絶対に四柱推命学を習得せねばならない。
長い歳月をかけて姓名学の研究に取り組んでいく途中で 必ず「かべ」につき当ってしまうのは、完全吉名であるにもかかわらず不幸に終わった人々もかなりの数にのぼっているが、その原因を解明する事が出来ないことである。
もちろん奥秘の活用により、ある程度の凶災を事前に予知することは可能であるが、何と言っても四柱推命学を習得しなければ、赤ちゃんの命名する場合でも手さぐりで命名するようなもので、例えばその赤ちゃんは健康が病弱に生まれているのかまたは短命か長寿であるかも知らずただ吉運数理のみ使用するという事は、暗い夜道を手さぐりで歩くのと全く同じであり、その人その人の分限に最も適用した運数を使用しなければ真実の吉名と言うわけにはゆかないのである。
この様に姓名学のみでもだめ、四柱推命学だけでも不可。四柱推命学と姓名学と両方を習得して初めて運命学の真価が発揮される、欲を言えばこれに易学もぜひ加えたい。この三つを完全習得すれば運命学の真髄が発揮される。四柱推命学と姓名学は車の両輪のようなものであって一方欠けても順調な進展は無理であります。
いきなり運命鑑定をやりだした自称霊能者
今一人、ある神霊者(※本人自称)は何の修行もせず、ただ夢で神様のお告げに「お前は人助けせよ、霊力はわしがさずけてやる」との事で、いきなり運命鑑定をやりだした。神霊も姓名学もあったものでない。
ある薬局の主人に「八月にお前の家に雷が落ちて火事になる」
ある八百屋のおばあさんに「お前は今年いっぱいの寿命である」
などぜんぜん与太の予告を何回もくり返したが一向に適中しないが、その中で全く馬鹿馬鹿しい、実話がある。
女性の○○さんが来月出産という、身おもな身体で鑑定を乞うと「お前が名前が悪いゆえ早く改名しなければ双子を産む」とおどされてその場で改名していただいたが、それから何日がすぎて私に
「ほんとうに改名すれば双子はうまれないでしょうか」と心配顔でたずねるので、
「奥さんはいつ出産予定ですか」と聞くと
「来月の初め頃」だという。
「いいですか、奥さん来月初めに出産で双子を産むという事は現在すでに貴女のおなかの中に双子が宿っていると言う事になる。その双子は今、貴女は改名したといってもどうして一つになるのですか」
ここまで説明してやると、だまされた事に気づく。実にのん気な人もあるもので、全く落語噺の面白さであります。この様な、いいかげんの霊能者の行為は、正統な運命学の神聖さを汚す危惧のあるものであり、実に遺憾なことであります。