【1】運命学とは何か
現在我が国で行われつつある運命学を大別すると易学、四柱推命学(先天運推理学)姓名学、印相学、九星術( ...
旧姓名学のなかで、忌字と言って何十種の文字を撰名の活用を禁じているものがあります。
例えば四季の花の名前だとか、熊虎のごとき獣類の名のごとき文字や、鶴、亀とか松竹梅のようなめでたい文字をはじめとして
雪、露、静、留、節、峰、満、美、文、末、光、芳、幸、里、秀、富、寿、栄、嘉、愛、福、その他たくさんの文字を嫌っているが、なぜこれらの文字を嫌うのか、その理由としてなるほどと納得できるに足りるべき説明がありません。
雪とか露とかは果無くて消えやすいとか、花の名前は盛りがみじかいから短命であるとか、獣の名は人間を獣心化させるというようなものや四季の場合などは短く区切られた人生、例えば春は束の間の一時的幸運を思い夏は灼熱の苦しみを感じ、秋はひとしお寂寞を、冬は冷気冷厳に失望的なものを感じる。
といったように浅薄な理屈から忌み嫌っているようであります。
が現在に至っては当用漢字による命名に使用する文字が制限されているが、さらに忌字など引立してくるとまったく命名に支障をきたすばかりでなく、何の学理的に意味をもたない迷信的な忌字によりせっかくの吉名の撰名ができぬことになりかねない、要するに不愉快な文字や不吉な意味を感じるものでないかぎりは何でも差し支えなく決して心配ではありません。
ある人が私に「紫雲丸」26数はいかがですか?もし「死運丸」25数であれば遭難しなかったでしょうか?と。
「紫雲丸」26数理でこの数理のままの結末をたどった事は誰でも容易に理解できるが
ことさらに「死運丸」と言えば数理が吉であるといって船名をこのように命名する人もなかろうから全く屁理屈というものであって、このような不吉を意味する文字はいかに数理的に吉運数であってももちろん避けたほうが無難であることは当然であります。
婦人の名の子の字
さらに旧式姓名学には、女性の名前に付ける「何々子」例えば「久美子」の「子」という文字は一般の慣例上敬称的につけるもので姓名学上無意義だとか、全く意味がないから画数に計算しないと説いているものがありますが、例えば鶴子なれば鶴だけの通字の画数のみ活用して子の画数は計算に入れないというものですが常識的に考えて「鶴」といえばまず鳥という観念がするが「鶴子」といえば人の名前だと直覚できる。
「清」一字では男性の名前と感じ「清子」だと軟らか味が加わり女らしさが全面的ににじみ出る。
このように鳥と人間を区別する「子」の文字、また男性と女性を識別できる「子」の文字は無意義でないことが理解できましょう。
したがって「子」の文字は姓名学上計算に入れるのは当然であり、計算外に置くことはいかにも不合理であるかが明瞭となると思います。
だいたい世の中に不用のものはなく無意味のものもありません。
たとえ毒でも薬でもまた善にせよ悪であっても無限空間(宇宙)の万象の存在には必ず相当の意味があり体用(本体と作用)のある事を知るべきであります。